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2020.05.25

Bar.軒先の店長になるまで~新宿二丁目で働く理由や『パッチワーク。』との出会いなど

こんにちは!Bar.軒先のKatsu!!です。

いよいよ今夜には東京都も緊急事態宣言が解除される見通しですが、みなさんどの様にお過ごしですか?Bar.軒先は、2020年6月1日(月)より営業再開に合わせて過去を振り返り反省すべき点を次に生かせる様、準備を進めてきましたが、今回は、過去を振り返りついでに僕が新宿二丁目と出会ったお話をさせていただきます。

何で新宿二丁目で働いているの?

僕の出身は静岡県浜松市になります。高校時代まで浜松で暮らし、大学進学と共にから上京しました。浜松の実家が柔道クラブを経営していた為、物心ついた時には柔道をしていました。大学に進学するきっかけも柔道でした。大学生活の大半を柔道に費やしていましたが、休前日は大学の先輩達と夜な夜な、渋谷、六本木などで遊び息抜きをしていましたが、なぜか?新宿二丁目でも遊ぶ様になっていました。

『パッチワーク。』との出会い

この時に僕の古巣である新宿二丁目の立ち飲み屋『パッチワーク。』の店頭でヒュウガ店長の呼び込みで声をかけられて飲ませてもらい、いつの間にか働いていたのが、新宿二丁目で働く事になった最初のきっかけとなりました。

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新宿二丁目『パッチワーク。』

パッチワーク。は、当時新宿二丁目では珍しく、チャージ料金のない立ち飲み屋で、料金的にも気軽に飲めたという事と、ヒュウガ店長と同じ年の上に柔道部出身という事で打ち明けるまではあっという間でした。

それからは休前日ともなると、パッチワーク。に毎週の様に通う様になっていました。新しく綺麗なビルの一階の約三坪程度の駐車場をリノベーションした路面店で、解放感溢れる店構えに加えて、ヒュウガ店長を含め、スタッフの方は男女共にノンケが多く、お客様もジェンダー問わず性差別がない方が多かったので、こんな店で働いても面白いかもしれない!と思う様になりました。

気付けば、大学三年の夏から約四年間もパッチワーク。でアルバイトとして働き、大学を卒業した後は、パッチワーク。の本格的なレギュラースタッフとして、ヒュウガ店長とパッチワーク。を盛り上げるために切磋琢磨していました。

Bar.軒先との出会い

新宿二丁目という街に本格的に関わる様になってからは、僕自身がこんなお店をやれたら良いな。という気持ちも芽生え始めてきた頃に、パッチワーク。のビルのオーナーでもある、フタミ商事の孝光社長が、フタミ商事の軒先をリノベーションし併設したバーにする計画があり、そこのバーを任せてもらう事になりました。

パッチワーク。 が入るビルからほど近い、仲通りの交差点。

どんな方でも入店しやすい様な、全面引き戸のドアの立ち飲みバーにする。という事で、まさにパッチワーク。に似た様な僕の中でひとつの理想とするバーの雰囲気になるという事で、今までの経験を十分に活かせるのではないかな?と思い、やらせていただく事に決めました!

それから、Bar.軒先がオープンして1年。考えてみれば新宿二丁目には、もう5年近く関わっており、自分でいうのもなんですが、良い経験をさせて貰っているなとしみじみ感じます。中学も高校も大学も受験勉強なんてした事もなく、大学4年の当時、就職活動もしなかった自分が、今では新宿二丁目のランドマークでもあるフタミ商事が併設しているバーの店長って・・・。人生どこで何が起きるかは本当にわかりませんね。

Katsu!! のこれから。

小学校の卒業アルバムには確か将来の夢は消防士って書いたような気がしますが・・・。笑。昔の自分に、今では物凄い仲間と多くのお客様に囲まれて毎日楽しく生きてるぞ!と胸を張って言えます。

ヒュウガ店長とは、同じ新宿二丁目という街で店長として働く仲間として!ライバルとして!そして親友としてこれからも刺激し合える仲でいれたら良いな。と思います。

孝光社長には大きな信頼と尊敬をしているので、僕もいつの日か信頼してもらえる様に、そして毎月23日の孝光社長自らがBar.軒先の店頭に立ち接客をしていただく日には、僕が上司として!笑。頑張りたいと思います。