伏見さんの新書『新宿二丁目』、読み終えました。
実は、さらっと1回目を読んで感想を書こうと思っていたんですが、献本をいただき、私の写真まで載せていただき、そしてこの二丁目バイブル的な内容、適当なことは書けないと思いまして…
時間をかけてじっくりと2回目を読ませていただきました。
欄屋の前田光安さんという方
昭和初期や戦後のゲイバーは、若い女性がいたり、喫茶店だったりと、表向きは ゲイバーとして営業できないような時代背景があったようなのですが…
昭和30年ごろ(かな?)、とあるお店の成功に続けと新宿三丁目の要通り付近に誕生した『欄屋』、ここのママ「前田光安」さんが新宿二丁目ゲイタウン形成に欠かせない存在だったと紹介されています。
ゲイバーとしての商才はもちろん、オリンピックや万博の前には組合を結成して警察に出向いたり、収益活動で得た資金を福祉施設に寄付したり。リーダーシップを発揮して、当時のゲイやこの街の地位向上に貢献されたそう。
(こういう利他の心を持った方、本当に尊敬します!)
そして、弊社で管理している新宿三丁目の路地裏にある物件。そこはまさに要通り付近、もしかすると『欄屋』の跡地なのかもしれません。
「昔の方々の苦労や功績があってこそ、今の新宿二丁目が存在するのだなぁ。」
と感慨深い気持ちで読ませていただきました。
新宿二丁目はなぜゲイタウンになった?
この疑問はしょっちゅう聞かれるんですが、この新書『新宿二丁目』によって、私の中では答えが出ました。
それは、
「数々の偶然が重なり必然になった。」
(我ながらカッコいい表現!笑)
です。
具体的に言うと、この本に書かれている成立条件が一つでも抜けていたら、ゲイタウンにはならなかったんじゃないかな。
その中でも興味深かったのがこちら↓
90年代も後半にならなければ、路上で大騒ぎをするゲイも少なかったし、表立ってその姿は見えなかった。これは見方を変えれば、かつては店のなかだけしかゲイだということを存分に表せず、一歩バーの外に出れば、大人しくするしかなかったという、ゲイや他のマイノリティが置かれていた状況の反映でもあった。
そして、それが功を奏して、住人の方がなんだか最近ゲイバーが増えたなあ…と思っているうちに、町内がゲイバーになっていた。というのが実感ではないか。
伏見憲明 『新宿二丁目』
なるほどなぁ。
繁華街(今の二丁目もそうですが…)といえば、酔っぱらって騒いだり、殴り合いの喧嘩をしたり、路上で寝ていたり、そういう姿を想像します。だけど、当時の二丁目はそうではなかった。
「ゲイの人たちはキレイに飲んでいた。今みたいに騒いだりしなかった。」
という住民の声も書内にありましたが、今でもメンズオンリーのバーはこれに近いと思います。一方で、LGBTへの認知が高まったことによる当事者自身の変化、ノンケが二丁目に増えたことによる観光バー(一般の人を入店させる店)の増加によって、街が騒がしく、よく言えば賑やかになってきたんですね。
終章には私が登場^^;
凄い方たちのお名前に交じり、私の写真まで…本当に恐縮です。
新宿二丁目は「世界一のゲイタウン」なんて言われますが、明るい時間はそれが分かりづらい。私は「もっと昼間も(LGBT)アピールすればいいのに!」なんて思っていたのですが、ゲイタウンの発展には”見えないこと”が重要だったようです。
確かに、今でもこの街のみんながゲイフレンドリーではない訳で…パンツ一丁の男の人の写真やイラストなんて掲げられてるものなら「なんだこれは!」となるんですから。
その中で、私たちが始めたごみ拾いの活動は、もちろん街をきれいにするとか、様々な方との交流とかもありますが、社会に対する夜の二丁目のイメージが「酔っぱらって騒いでいる」ではなく「社会問題に取り組んでいる」というアピールにもなるはず。
そして、新宿二丁目が「世界一きれいな繁華街」になることで、街のみんなが自慢できるゲイタウンとなり、愛すべき二丁目の存続と発展につながることを期待します。
最後に。『新宿二丁目』を読んで、この街に関わってきた方々の苦労や努力を知ることができました。全ての方に敬意を払い、これまで以上にこの街に真剣に関わって行こうと思います。
伏見さん、過分なご紹介をいただき励みになります。ありがとうございました。
関連リンク: 伏見憲明 『新宿二丁目』 | 新潮社